さくら月夜



第七章 ひとりじゃない


「伊藤さん、最近どうかしたの?なんだか変よ。体調でも悪いの?」

「いえ…すみません。」

どちらかというと、仕事をテキパキと効率よくこなすさくらは、上司の評価や信頼が厚い方なのだが、

ここ数日は幾度となく注意を受けていた。

仕事が忙しい時は、何もかも忘れて没頭できるが、

少しでも余裕があると、あの日の出来事や光一の顔が脳裏に浮かんできて

ついつい、ぼんやりしてしまうことが多くなっていたからだろう。

そして、あの日のことも光一のことも、忘れようとすればするほどに、頭から離れなくなっていた。

これではいけないと、頭では解っているのに…心がそれに追いついてこないもどかしさと苛立ち。

やり場のない気持ちが切なくて…胸を締め付けられるほどに苦しかった。



「伊藤さん、少し疲れているんじゃない?」

「2・3日お休みをあげるから、温泉でも行ってリフレッシュしてらっしゃい。」

「いえ、いいんです。大丈夫ですから…」

「ダメ!これは上司命令よ。」

「その代わり、休み明けにはいつものあなたに戻って、またしっかりお仕事してよ。」

「…」

「この休みは、いつも頑張ってるあなたへ、ここにいる全員からのプレゼントだと思って。」

「えっ?」

「何驚いてるの?ほらっ、みんなあなたのこと、ずっと心配していたのよ。」

上司に言われて事務所を見渡すと、

「早く元気になってくれなきゃ、私たちが困っちゃうんだからね〜。」

「温泉みやげ、忘れたら承知しないよ。」

気心の知れた仲間が憎まれ口を叩いたが、言葉の端々に優しさが溢れていて

「ありがとう…」

そう答えるのがやっとだった。






どうしよう?

突然3日の休みだなんて…。

みんなの気持ちは、涙が出るほど嬉しかったけれど、

今の私には時間を持て余すだけになってしまうかもしれない。

仕事に没頭して、何もかも忘れてしまえたら、どんなに楽だったか…

だけど結局、みんなに心配と迷惑をかけちゃった。

3日か…

時間が忘れさせてくれるのを待つ?

そのための3日?

たった3日で忘れられるわけない!



明日からの3日間をどう過ごすか…

さくらは帰宅してからずっと、そのことを考えていた。



「そうだ!」

自分の時間を趣味のパソコンに費やしているさくらは

友人に相談することを思いついて、パソコンのスイッチを入れた。

とは言っても、ネット上で知り合った友人『未来』とは、まだ一度も会ったことがない。

なのに、何故だか、ずっと昔からの知り合いのような…そんな風に思える存在だった。

出会いは、友人たちの運営するホームページの掲示板だった…はず。

その後どうやって親しくなったか、どちらが先に声を掛けたのか…今ではすっかり忘れていたし、

それがかえって「昔からの友人」のように錯覚させているのかもしれない。

その未来とは、最近メッセンジャーを使って、パソコン上で会話をすることが多くなっていた。

時間のあるときや、何か相談ごとがあるたびに、どちらからともなく呼びかけておしゃべりをする。

そんなことを繰り返しているうちに、お互いの性格やプライベートが見えてきて

さらに親しくなるのに、そう時間はかからなかった。

そして、1月14日に帝劇からメールを送った相手も未来だった。

その後、光一が家に来たこと、眼鏡店で再開したこと、光一の招待で帝劇に行くこと…

ここまでは未来にも報告していたが、それ以降、さくらは連絡することさえ忘れてしまっていた。



うん。そうしよう。

それに、未来さんとおしゃべりすれば、気分も晴れるわ…きっと。





そう…この時はまだ

彼女が、深く切ない恋に翻弄される運命の淵に立っているということに

気付くことさえも出来なかった。

この私も…







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