さくら月夜



第三十二章 モーニングコーヒー  






二人でダイニングテーブルを挟んで座った。

こくっ…

温かいコーヒーのカップを両手で包んで、それをひとくち口に含む。

突然の出来事に慌てたさくらも、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻していた。

そして、ゆらゆらと昇る湯気をしばらく見つめてから、そっと伺うように視線を上げる。

光一は両肘をテーブルについて掌に顎を乗せ、少し身を乗り出すようにしてさくらを見つめていた。

「ん?」

ちょっと不思議そうな顔で笑う光一に、さくらの心臓はドキンと大きな音を立てて鳴る。

そしていたずらを見つかった子供のように、慌てて目を伏せた。

光一はそんなさくらの様子を、何も言わず小さく微笑んだままただ黙って見つめている。

二人の間には穏やかな朝の時間が流れていた。






こんな形で光ちゃんとモーニングコーヒーを飲むことになるなんて…

夢にも思っていなかった。

ううん…

本当は私

心のどこかでこんな朝をいつも夢見ていたのかも。







さくらは光一の視線から逃れるように立ち上がると窓の方へと進み

重く閉ざされていたカーテンを勢いよく開けた。

とたんに、この季節には珍しいくらいまばゆい朝日がレース越しに差し込む。

「うわぁ〜眩しいくらいのいいお天気。ねっ光ちゃん?」

そう言いながらクルリと振り向いたさくらの髪が陽に透けてキラキラと光る。

色白の華奢な身体と金色に近い茶色の髪が、そのまま朝日にとけてしまいそうだった。

綺麗や

心の中で呟いたが、そんな自分がガラにもなく照れくさくて、思わず俯いてしまう。

そんな光一の頬がほんの少し赤くなったことに気付きもしないで、さくらが笑いながら言った。

「光ちゃん、コーヒーのお代わり、いかが?」



そのセリフに光一は両手に顎を乗せたままガクリと首を垂れる。

「相変わらずの鈍感やな…」

下を向いたまま、さくらに聞えないように呟いて、くっくと笑った。



「あ〜光ちゃんたら、何笑ってるの?」

さくらが頬をプーッと膨らませて言ったが、光一は

「なんでもない、なんでもない。」

そう言って

「コーヒーのお代わり、お願いします」

軽く頭を下げながら片手でカップを持ち上げて笑った。

「は〜い」





さくらは、いそいそとキッチンに戻りながら光一に聞えないようにそっと呟く。

「好き…」





窓から差し込む朝日とコーヒーの香りが二人を包み込んでいた。











「今日ね〜凄いもの見ちゃったんだよ〜」

帰宅するなり美雪が興奮気味に言った。

「ね?ね?何だと思う?お母さん?」

「さぁ〜何かしらね〜?」

さくらは、夕飯の準備をしながら半分聞き流していた。

「光ちゃんの車だよ!」

「えっ? あ、ぁっ!」

美雪の言葉にギクリとしたさくらは、持っていた皿を取り落としそうになって慌てた。

「何慌ててんのよ〜お母さんったら。」

美雪がさくらの慌てた様子をカウンター越しに覗き見てケタケタと笑う。

「んなわけないっしょ! ね?ね?ビックリした?」

「…だって、今」
確かに…光一の車を見たと

興奮して目を見開いたままさくらが言うと、そんなことを意に介する風もなく美雪が続ける。

「今朝ね〜、赤いフェラーリが停まってたんだよ、すぐ向こうの道に」

「あれって、光ちゃんが乗ってるのと同じかな〜?めっちゃ格好よかったよ♪」

本物のフェラーリを初めて間近で見た美雪が興奮気味に続けた。

「誰も乗ってなさそうだったから、こっそり写真撮っちゃったんだ〜。ほらっ!」

美雪に見せられた携帯の写真は紛れもなく光一の車だった。

見られた…

そう思った瞬間、さくらは頭がカッ!!と熱くなって思わず大声で叫んでいた。

「そんなもの!すぐに捨てなさいっ!!」

「え?」

さくらの勢いに押された美雪が、わけも分からずポカンと見返す。

そして眉間にシワを寄せると少し不服そうに言った。

「何言ってんの?意味わかんな〜い」

「だ、誰の車か分かんないのに、勝手に写真なんて撮っちゃダメに決まってるでしょ?!」

さくらがまだ興奮気味に言うと

「何でよ?今日のお母さん変だよ?もういいっ!!」

パタンと携帯を閉じるとバタバタとスリッパを鳴らして足早にキッチンから出ていった。

「美雪!」

背中に向かって大声で名前を呼んだが無駄だった。





どうしよう?

今朝、光ちゃんが美雪を見かけたって言ってた。

美雪が車を見たのはそのすぐ後?






美雪が見たフェラーリが、本当に光一のものだとは美雪も気付いてはいない。

しかしさくらは不安で胸が押しつぶされそうだった。

いつ…どこで…誰に…見られているか分からない不安。

光一と逢うためには大きなリスクが伴うことを、その夜あらためて思い知らされたのだ。

そして、今、さくらが一番不安で怖かったのは彼の…

光一の一途な無防備さだった。












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