さくら月夜



第三十一章 ただ逢いたくて  




何やっとんねん…


本番中、あきらかに歌に集中できてなかった自分が情けなくて、無性に腹立たしく思えた。

剛は「気にすんなや」と笑い飛ばして、それ以上は何も言わなかったが

逆に何もかも見透かされているようで悔しかった。

「明日は久しぶりにゆっくり休めばいい」

マンションの前で車を停めてマネージャーが気遣ったが、今の光一には気休めにもならない。

さくらと逢えへんのに意味ないわ






何で?

何で逢えへんねん?

さくら…







ベッドの中でボーっとさくらのことを考えていた光一は、突然勢いよく起き上がった。

大急ぎでその辺にあったシャツとパンツを身につけ、隣の部屋からギターを持ち出す。

静寂の中に光一が奏でるギターとペンの音が流れる。

それは時折止まりながら、空が明るくなるまで続いていた。










「お母さん、行ってきま〜す」

「気をつけて行くのよ」

「は〜い」

朝まだ早い時間に、さくらは美雪を見送った。

都内の私立中学に通っている美雪は、毎日朝早くに出かけて行く。

帰りは暗くなることが多いので、さくらが駅まで迎えに行く。

そしてクラブ活動に熱心は美雪は土曜といえど、いつもと同じ時間に家を出る。

今日もそうだ。

この習慣も、今年の春で3年目を迎えていた。

さてと、何から片付けよう…

あ、やっぱりもう一眠りしちゃおっかな〜♪

寒っ…


リビングに戻りながら、パジャマ姿のままのさくらが小さく身震いする。

もう春とはいえ、早朝の空気はまだヒンヤリとしていた。





ふと置きっ放しにしていた携帯が目に留まって、昨夜光一からメールが届いていたことを思い出した。

少しためらってから思い切って開く。


あ…

『なぜ?』

いままでと違う『件名』だけのメールをみて、堪えていた涙が溢れ出す。

光ちゃん…









ピンポーン♪





そのとき突然チャイムが鳴り響いた。









美雪? や〜ね。忘れ物かしら?

さくらは大急ぎで涙を拭うと玄関に向かった。

「どうしたの?忘れ物?」

そう言いながら、赤くなっているはずの目を見られないように、俯いたままでドアを開ける。

えっ?

さくらの目に飛び込んできたのは、美雪の白い足ではなくて黒いジーンズだった。

「さくら」

聞き覚えのある声に、さくらは自分が泣き顔なのも忘れて顔を上げる。

「こ、こう・・・ちゃん?!」

怖いくらいに真剣な光一の目が無言でさくらを見つめる。

少し乱れた白い息は外の寒さのせいだけではない。

「入ってええかな?」

驚きと小さな恐怖でさくらが後退さると、光一はさくらの返事も待たず玄関の中に足を踏み入れた。

ドアがパタンと小さな音を立てて閉まる。

うそ…

足の力が抜けてヘナヘナと座り込みそうになったさくらの腕を光一が強く引き寄せた。

光一の肩に顔をうずめると、懐かしい匂いがさくらを包む。







「ごめん…来てもうた」

そう言うと、さくらの背中に腕をまわし、さらにギュッと抱きしめる。

さくらは何が起きているのかまだ理解できないで、ただ呆然と

両手をぶらんと下げたままで光一に抱きすくめられていた。





どのくらいの時間、そうしていただろう?

さくらを抱きしめていた光一の手が緩むと、今度は両肩を掴んでその顔を覗き込む。

「俺は…ずっと逢いたかったで、さくらに」

怖いくらいの眼差しを向けられて、さくらは堪らずに目を伏せる。

頭の上で光一の視線を感じていたが、顔を上げることもできなかった。





「なぁ…」

小さな沈黙のあと、光一が溜息を漏らしてから言った。

「さくらはどうや? 俺と逢えへんでも平気やったんか?」

光一の言葉に驚いたさくらは、顔を上げると慌てて首を振る。

それを見た光一の表情が一気に緩んでいく。

「そっか…。 なら、ええねん」

光一の手がさくらの頭をヨシヨシするように撫でながら言った。





「自分でも無謀やな…思たけど、朝やったら逢えるんちゃうかな?って。…結局、来てもうた」

笑っている。

「光ちゃん…」

「けど、ほんまに逢えると思てなかったから、正直驚いた。」

「うん…」

なんだかまだ夢を見ているようだった。

「そこですれ違った女の子。美雪ちゃんやろ?」

「えっ?」

「可愛い子ぉやな。 さくらに似とったから、すぐ分かったわ。」

さくらが顔を赤くして俯く。

そして次の瞬間

さくらは悲鳴をあげると、自分の体を両腕で隠すようなしぐさでしゃがみ込んだ。

その声と動きに驚いて、光一が一歩下がる。

「さくら?」

さくらは華奢な身体を益々小さく丸めると、手で寝癖のついた髪を押さえるようにして光一を見上げた。

叱られた小さな子供みたいなさくらの姿が、光一にはとても可愛らしく見えて笑いながら聞く。

「どしたんや?」

「だって…パジャマ」

さくらは真っ赤な顔のまま、消え入りそうな声で言う。

「パジャマ〜?」

「…恥ずかしい」

「ぶわぁっはっはは〜」

一瞬の沈黙が流れたあと、光一が噴き出して

「何言うてんねん、今更。 …くっく。 とっくにパジャマの中身まで見てるやん、お互い。」」

喉の奥で笑いながら言った。

「光ちゃんの…ばか」

「コラコラ…バカはあかん言うたやろ? …ほらっ!」

まだ笑いながら手を差し出す。

さくらは少し躊躇ってから、その手に自分の右手を重ねた。

光一はさくらの手をしっかり掴むと、自分の方へ強く引き上げて再び腕の中に包み込む。

「逢えて…よかった」















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