さくら月夜
第二十八章 あふれる思い
ふふ…なんだか懐かしいのに、あの時とは全然違うのね
この風景を見るのは二度目だ。
3月にしては珍しく暖かな午後、さくらは駅から歩いて光一のマンションへと向かっていた。
綺麗に整備された石畳の歩道を歩きながら、ふと空を見上げる。
太陽がほんの少しまばゆくて、掌をかざすと小さくそれを遮る。
春を待ちかねる街路樹が小さな芽を覗かせている。
優しい風が吹き抜けて、柔らかなチョコレート色の髪にフワリといたずらをする。
手にしたスーパーの袋が少し重くて…だけど今はその重さも気にならない。
何もかもが幸せに満ち溢れているように思えた。
この道をこんな気持ちでもう一度歩くことになるなど思ってもいなかった。
『さくら 逢いたい 光一』
夜遅く光一からメールが届いた。
さくらからは絶対に言えない言葉…それが初めて光一から届いた。
逢いたい
逢いたい
逢いたい
私だって…
光ちゃんに…こんなにも逢いたい
その言葉を目にした途端、それまで胸の奥にしまっていた思いがとめどなく溢れ出していた。
ずるいよ…
逢えない現実を前に『逢いたい』と言ってきた光一を少し恨めしく思えて、思わず涙がこぼれる。
♪♪♪
そこへ間髪入れず再び光一からのメールが入った。
『明日逢える?』
うそっ…
さくらはマンション入口のドアに向かって歩きながら、そこに映る自分の姿を確認していた。
変、じゃない…よね?
はきなれないスカートをはいて来たことを、今、ほんの少し後悔していた。
おかしくない…よね?
シフォンのような柔らかなその素材が、裾を翻して形の良い足に纏わりついている。
少し念入りに、でもナチュラルに施された化粧がさくらの魅力を最大限に引き出していた。
それなのに本人は、すれ違う男性がチラリと振り向いたことさえも気が付いてはいない。
相変わらず自信のないままで、自分を落ち着かせるために小さな息を吐いた。
そして、震える指でいつかと同じ番号のボタンを一つずつ押していく。
返事がないまま、ガラスのドアだけが静かに開いた。
中に入り後ろで再びドアが閉まったことを確認すると、一番奥のエレベータへと向かう。
胸の鼓動はどんどんと大きくなって、それはもう自分の心臓とは思えないくらいだった。
この大きな音が誰かに聞こえやしないかと心配になって
誰も居ないのにエレベータの中でついキョロキョロしてまった自分が可笑しかった。
そして
部屋の前で大きく深呼吸をしてから、そっとチャイムを押した。
昨日最後の仕事を終えてマンションまで着いたとき、マネージャーが翌日のスケジュールを確認した。
「朝から雑誌の取材が2件入ってるから、迎えは…8:00だな。遅れるなよ。」
「8:00〜? 早え〜なぁ。」
朝早いうえに雑誌の取材かよ…
「で?その後は?」
「あぁ…カメラマンの都合で撮影が夜になるらしい。スタジオ入りは午後7:00…だな。」
「はん? それまでは?」
「ハハハ、喜んでいいぞ。取材が早く上がればその後は、短いが久しぶりのオフになる。」
「オフ? マジで?」
「ああ。どうする?一旦マンションに帰るか?」
「おぉ、頼むわ」
やりぃ〜
「光一、やけに嬉しそうだな?」
怪しまれんよう普通に返事したけど、自分でも気が付かんうちに顔に出てたんか?
「やって、久しぶりのオフやん。 嬉しいっちゅうねん!」
バックミラー越しにあいつが不思議そうな顔で言うから、つい焦って答えてもうたやん。
やっばぁ〜
「ふ〜ん。まあいいがな。 忘れるなよ…夜にはもう一度仕事だぞ?」
「わかってるって!」
「じゃ、明日は8:00に迎えに来るから」
「了解!」
逢いたくて…
逢いたくて…
今すぐにでも抱きしめてしまいたいくらい
さくらに逢いたかった…
ピンポーン…
チャイムが鳴り終わらないうちにドアが開き、いきなり腕を掴まれて強い力で中へと引き込まれる。
「きゃっ!!」
1秒後にはさくらの背中でドアが大きな音を立てて空間を遮断した。
「逢いたかった」
そう言ってさくらを驚かせた張本人は、ギュッとさくらの身体を抱きしめる。
「こ、光ちゃん? く、苦しい…」
「あ…ご、ごめん」
光一が慌てて体を解く。
「ううん。 私も…私も、逢いたかった」
光一を見上げるさくらの目はみるみる潤んでいった。
「また泣く」
光一が少し呆れたように笑いながら、さくらを今度は優しく優しく…その腕の中に包みこんだ。
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