さくら月夜



第二十六章 涙のあとで  



「大変っ!」

「ん?」

「光ちゃんの手!手当てしなきゃ…」

「これか?大したことあらへんて!」

「ダメよ。 ちょっと見せて…」

グラスの破片で傷ついた光一の右手は血で汚れていた。

さくらは光一が引っ込める右手を強引に掴んでその掌と指を丹念に見た。

「痛い?」

「いや…大したことない」

「救急箱あるかしら?」

さくらは、光一が持ってきた救急箱の中から、消毒薬とガーゼや包帯を取り出して傷の手当てを始めた。

「っつ!」

「ちょっと我慢して」

傷の具合をチェックしながら丹念に消毒して、ガーゼを当てた上から包帯を巻こうとしている。



「あ…あれっ? ん〜…」

「くっくっく…」

さくらの様子をじっと見ていた光一が、こらえきれずに笑い始めた。

「動かないでよ〜」

さくらはますます焦りながらグルグルと包帯を巻き続けている。

「ぶゎっはっはっは〜〜っ!!」

包帯をぐるぐる巻きにされた手はまさしくドラえもん状態で、とうとう我慢できなくなった光一が噴き出した。

「さくらぁ〜。これはないやろ?」

光一は、包帯を巻き終えてドラえもんになった手を振りながら、ヒィヒィと腹を抱えて笑っている。

「もうっ!光ちゃんったら、知らないっ!!」

さくらの不器用さを知ってそれを笑い飛ばす光一に、拗ねた振りでそっぽを向いた。

そんなさくらにお構いなく、光一はまだ笑い続けている。







「くっく…  ごめん」

ひとしきり笑った後、さくらがシュンとうな垂れている姿に気付いた光一は、それでもまだ笑いながら言った。

「私、こんなことも満足に出来なくて…恥ずかしい」

「ハハハ…そんなん問題やない。俺今、そんなさくらも好きや〜思たわ」

「光ちゃん」

「俺な、さくら見とったら…いつやって不思議と幸せな気分になれるんや」

光一はドラえもんになった方の手で、さくらの頭をポンポンと優しく叩きながら言った。

「ありがとな」







「美雪ちゃん待っとんのやろ?」

「うん」

「そろそろ帰ったらな…」

「うん」

時計を見ると針は午後6時を少し過ぎたあたりを指していた。

「外はもう暗いし…一人で寂しがってるんと違うか?」

「うん」

「また逢えるし…そやろ?」

「うん」

「送ってくから…」

「うん… えっ?」

驚いて顔を上げたさくらの上に光一の顔が被さって、ほんの一瞬だけ唇に触れて離れた。

「さくらはさっきから『うん』ばっかりやな(笑) ほら…行くで!」

光ちゃん…照れてる?

自分の方を見ないで、そのまま足早に玄関に向かう光一の背中が愛しく思える。

「待って」

さくらは、ソファの端っこにあったバッグを手にすると光一を追いかけて玄関へと急ぐ。

数時間前、重い足取りでこの部屋を訪れたことが嘘のように今は気持ちが満たされている。



逢えてよかった

二人は互いに心の中で呟いた。







「なぁ、美雪ちゃんていくつなん?」

「えっ?」

「美雪ちゃんのとし」

「…14」

「えっ?!」

光一は赤信号の手前で強くブレーキを踏み込むと慌ててさくらの方を見た。

「14になったばかり…中学2年生なの。驚いた?」

「驚くも驚かないも…もっと小さい子やと思っとったわ」

光一はしばらく目をパチクリさせながらさくらを見ていたが、信号が青に変わると再びアクセルを踏んだ。





「あの…」

しばらくして気を取り直したように光一が口を開く。

「なに?」

「…こんなん聞いてええんかな?」

「ふふっ…もう、この際だもの、なんでも聞いて」

遠慮がちに訊ねる光一の表情があまりにも可愛くて、さくらには質問の内容も何となく予想がついた。

「あの…な」

「33よ」

まだ口ごもっている光一の質問を待たずにさくらが答える。

「・・・うっそ。マジで?」

「失礼ね〜。今更ウソなんて言う訳ないでしょ?」

「そりゃまぁ。けど…ちょっとビックリやわ」

「…ごめんね」

こんなおばさんでごめん。やっぱり私じゃ光ちゃんには釣り合わない…よ





「なに謝っとんのや?」

「だって…」

「『だって』やない!さくらはまた余計なこと考えとんちゃうやろな?」

「・・・」

「歳なんか関係あらへんよ」

光一がドラえもんの手で優しくさくらの後頭部を撫でた。

「…ん」





「それにしても運転しにく〜てしゃあないで…この手は!ヒャッヒャ…」

「光ちゃんの…バカ」

「おい…バカはあかんでバカは!アホくらいにしといてやぁ〜」

「もぅっ!」

ありがとう…

さくらの気持ちを和ませようとして、一生懸命おどけてみせる光一がますます愛しくてたまらなかった。





二人を乗せた赤い車は、夜の高速をすべるように走り続けていた。

雨で洗われた後のイルミネーションがひときわ美しい夜だった。













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