さくら月夜
第二十章 電話
さくらは、翌日も朝から黙々と昨夜の続きをやっていた。
美雪は既に学校へ行ってしまって、さくら一人きりの家はしんと静まりかえっていた。
プルル…
突然電話の音が鳴り響いた。
「はい…」
「あの〜。伊藤さんのお宅でしょうか?」
「そうですが?」
若い男性の声がさくらの耳に流れ込んできた。
「さくらさん…て、いらっしゃいますか?」
聞き覚えのある声のような気がしたが、誰だか思いだせない。
「あの…さくらは私ですけど?!どちら様?」
「あ、すいません。僕、堂本…言いますけど。」
「えっ?」
一瞬ドキリとしたが、光一の声やイントネーションとは違っていた。
「堂本…つよしです。」
「えっ?剛…くん?」
「はい。突然お電話してすいません。」
えっ?どういうこと?なぜ剛くんが?
さくらが状況を把握できずにオロオロしているのを察して、剛が言葉を続けた。
「光一が…△※◇○#▽◎※」
『光一』という名前を耳にした途端、さくらの思考回路はストップしてしまった。
胸が締め付けられるように苦しくなって、それから先は何も聞えなくなっていた。
握り締めた受話器がジットリと汗ばんでいった。
「…てことで、お願いできませんか?」
剛が確かめるように聞か返してきたとき、ハッと我に返った。
「えっ?あ…ごめんなさい。なんて?」
受話器の向こう側で、剛が一瞬苦笑いしたであろう雰囲気が伝わってきたが、
彼は、もう一度最初から、丁寧に同じことを繰り返して説明してくれた。
その話し方は、光一とはまた違った穏やかさと優しさが溢れていて、
彼の誠実な人柄を物語ってはいたが、その申し出にさくらは困惑した。
「あの…困ります、私。」
剛の申し出とは、掻い摘むとこうだった。
「光一と会ってやって欲しい。ちゃんと話をしてやって欲しい。」
そして、こうやって自分が電話をしていることを光一は知らない…とも。
でも何故?
光一がさくらに会いたがっているわけでもないのに、
剛がこうやって電話をかけてきた意味が、さくらにはどうしても理解できなかった。
「光一は、あなたのこと…なんも知らんのです。知らんのに…諦めようと必死になっとる。」
諦める…って、何を?
「多分、まだ何も始まっとらんのでしょう? 違いますか?」
何を言ってるの?
「諦めてしまう前に、お互いの気持ちを確かめることが先決やないんですか?」
気持ち…って?
「あなたのこと、光一はなんも知らんのに好きになってもうた。」
「それは仕方ないことやと思います。恋っちゅうのはそういうもんやと思いますから。」
好き?好き…って?誰が?恋?誰に?
「けど、あなたのこと、なんも知らんまま…ただ諦めるやなんてさせとうないんです。」
「あなたにも事情があるかもしれない。あいつのこと、何とも思うてへんかもしれん。」
「嫌いやったら嫌いで…それでもええんです。」
「とにかくあいつに話してやってくれませんか?」
「あなたの事情やお気持ちも考えず、一方的に失礼なことを言うてるのは承知の上です。」
「けど…どうかお願いします。あいつと会って、ちゃんと話をしてやってください。」
「あなたにとっては迷惑な話かもしれません。でも、今のあいつを見とるの、俺も辛いんです。」
剛は、ここまで一気に言うと静かに息を吐いた。
そして、もう一度静かな声でさくらに聞いた。
「会ってやってもらえませんか?」
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