さくら月夜



第十八章 湖上の視線  



光一は、後ろ髪を引かれる思いで旅館を後にしたが、

一旦「スタート!」の声がかかると、意識的に頭を仕事モードに切り替えていた。

剛は、終始光一へ注意を払いながら、うまくフォローできるよう立ち回っていた。

撮影が始まった直後は、いつもの光一のように見えて安心していたが、やはり

ふとした瞬間に見せる表情には、疲れと翳りが見え隠れしていて、見ているのも辛いものがあった。

何か声をかけてやりたいと思っても、車内には固定カメラが設置されていて

二人きりとはいえプライベートな話しをすることは不可能に近かった。

それでも、朝に弱い光一のテンションを上げるために剛が用意していたCDは

思わぬところで力を発揮し、暗く沈みがちな車内を何とか盛り上げることに成功はしていた。

そして光一も徐々に集中していった。





午前9時頃、光一と剛は芦ノ湖畔に到着していた。

スタッフの話によると、2月の寒い朝だというのに湖上に浮かぶスワンに乗るという…

「え〜っ?スワン?こっちにしようや〜。」

光一はすぐわきに停泊してあったモーターボートを指差して言ったが、

そんな意見が聞き入れられるはずもなく、剛によって無理やりスワンに押し込められそうになった。

「ちょ〜待ってや〜。あっ!あれっ!あれにしよう!!なっ?」

光一が指差した先には、芦ノ湖をゆっくりと一周している遊覧船が浮かんでいた。

そしてそのまま、時間の流れが止まったかのように、光一の動きもゆっくりと止まってしまった。

光一は口を硬く結んで睨むように遊覧船を見つめていた。

ん?

剛も光一の目線を追って遊覧船を見た。

この季節、遊覧船のデッキに出る客などほとんどいないと思われるのに、

そこにはたった一人で湖を眺めている女性がいることに気付いた。

剛は慌てて光一の方に振り返った。

やっぱ…そうか。

もう一度遊覧船に視線を戻すと、その女性の表情が一変していた。

光一の遠い視線に気付いたようで

最初は驚いたような表情を浮かべたが、それが徐々に困惑へと変わっていた。

そして、サッと踵を返すと、そのままゆっくりとデッキから遠ざかっていった。

その様子を見ていた剛は、一瞬だが二人が異空間にいるような錯覚に陥った。

現実とはまったく別の空間が、ポッカリと二人を包み込んでいるような…

そんな感覚だった。





『なんだ・・・・・?』

光一と剛をカメラで追っていたスタッフが、二人の異様な雰囲気に気付きはじめていた。

まずいな…

剛は慌てて、光一の方に向き直り声をかけた。

「ほらっ!文句言うとらんと、さっさと乗りなさい!」

「あ…あぁ。」

剛に促されて我に返った光一は、

何事もなかったかのようにスワンに乗り込みながら、剛に小声で声をかけた。

「すまんかったな…」

「いや…。あん人がそうか?」

「あぁ。」








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