さくら月夜



第十六章 絶望と疑問符の間




寝起きはいつもそうだが、今日の光一はことさら不機嫌そうに見えた。

朝から一言もしゃべらないで、もくもくと朝食を口に運んでいた。

「な〜…」

「なんや?」

意を決したように、剛が光一に話しかけた。

「おまえ…ゆうべ何処行っとたん?」

「えっ?」

剛は光一が一瞬ギクリとしたのを見逃さなかった。

「な・何のことや?俺はずっとこの部屋におったで。何言うとんねん。お前、夢でも見たんちゃうの?」

光一が咳き込みながら、必要以上に饒舌になって否定した。

「そやかてコーチャン、目〜泳いでるがな。」

動揺している光一の様子が可笑しくて、剛は少しからかうように笑いながら言った。

「あ・あほか!泳いどらんわ!」

「そっか〜? で? ほんまは何処行っとったん?」

味噌汁をすすりながら、横目で光一を見て、何食わぬ顔で追い討ちをかける。

「な・なんでお前がそんなこと知っとんねん!酔いつぶれて先に寝たくせに。」

「くっく…。光一、お前…ほんま嘘つかれへん性格しとんな〜」

「・・・」

それには答えず、光一は苦々しげな表情でお茶を一口飲んだ。

「まっ、言いた〜ないなら、それでもええけど。別に、無理に聞くつもりもないし…な。」

笑っていた剛の表情が真顔になっていた。



「…気付いとったんか?」

「まぁな。」

「いつ?」

「お前が帰って来た時や。」

「部屋に?」

「あぁ。俺も最初はトイレにでも行っとったんや…と思うてたけど、律儀に浴衣着とったやろ? 

おまえ、トイレ行くのにわざわざ浴衣着いひんやん。そんで、あれ?って気付いたわけや。」

「はぁ?・・・そんなんでバレとったんか。」

「まっ、そ〜いうこっちゃな。習慣とは恐ろしいもんやね〜」

さすがの光一も苦笑いするしかなかった。



「女か?」

長い沈黙の後、剛が口を開いた。

「…あぁ。」

「図星かいな?」

「あぁ、図星や。」

「こりゃまた…えっらい素直に白状したな。」

「はっ。もうバレとんやろ?今更隠してもしゃあないやん。」

光一も半ば開き直って、干物を頬張りながら答えた。

「女のとこにしちゃ〜帰ってくるの、はやなかったか?え〜と確か1時間弱ってとこか?」

剛がニヤニヤしながら、更に追い討ちをかけた。

「おまっ!ずっと起きとったんか?それとも俺をからかって面白がっとんのか?」

「仕方ないやん。ほんまは、お前が出てったのに気付いて…俺かて寝れへんかったんやで。」

箸をおいて光一の方を見た剛の顔からは既に笑みが消えていた。



「・・・ふられた。」

光一がポツリと言った。

「は??」

「やから…ふられたんや!…多分。」

「多分?多分って何や?」

「泣かしてもうた…。」

「泣かした?泣かしたって、彼女を?」

「あぁ。」



光一は食事の手をとめて、ポツリポツリと、昨夜の出来事を剛に話し始めた。

いつか剛にも話す時が来るだとうと思っていたが、

まさか、こんな場所でこんな風に話をすることになるとは…

光一は迷いながらも一つ一つ剛に話すことで、徐々に気持ちを落ち着かせていった。





剛は相変わらず食事を続けながら、光一の話を時折頷きつつ静かに聞いていた。

「で?」

「・・・そんだけや。」

「は?」

「やから、そんだけや!」

「もしもし、光一さん?そんだけって、泣いてる彼女をほっぽって帰って来たっちゅうことですか?」

「そういうことに…なる。」

「そりゃ、あかんやろ〜?!」

剛は半ば呆れ顔で叫んだ。

「やけど…他にどうしようもなかったんや。」

「はぁ・・・」

がっくりと肩を落として溜息をついた剛に、光一は少なからず苛立ちを覚えた。

「溜息つきたいんは俺の方や。」

「せやったな。ごめん、ごめん。」

「もぉええわ。」

剛は、彼女に嫌われたと思い込んで落ち込んでいる光一の様子が不憫に思えたが、

同時に不思議に思うこともあった。

「な〜、彼女…突然でビックリしただけちゃうの?」

「・・・」

「違うか?」

「・・・少なくともそんな感じやなかった。怯えた顔で俺のこと見たんやで。」

「お前、ギラギラしてたんちゃうんか?そやったら彼女が怯えるのもわかるで。」

「そんな覚えもない。17・8の頃ならいざしらず…。ありえへん。」

「あっはっは…そ〜ですか。」

アイドルだからといって光一に恋愛経験がまったく無いわけじゃないのは、

10年も近くにいた剛には十分過ぎるくらい分かっていた。


「…せやけど、それまではええ雰囲気やってんやろ?」

「まぁ、そやな。少なくとも嫌われてるとは思えへんかった。」

「それが、一歩踏み込んだ途端に態度が変わったわけや…。」

「あぁ…」

「ほんまに思い当たるふしはないんか?」

「・・・」

手がかりがなにも見つからなくて、剛もほとほと困り果てた。

「光一。お前、彼女のこと、どんくらい知っとんねん。」

「どんくらいって…」

「歳は?仕事は?他にもいろいろあるやん。」

「・・・」

「ちょっ、まさか?」

「名前と家…そんだけや。マネージャーがもっと知っとると思うけど?」

「はぁ?」

「せやかて、そんなん考えたこともなかったわ。」

「お前な〜。普通は考えるやろ?好きな人のことやで?もっと知りたいと思わへんのか?」

「好きな人て…。仕方ないやん、好きや…て気付いたのが昨日なんやから。」

剛に問い詰められながら、光一は何度目かの溜息をついていた。

さっきからずっとさくらのことばかり考えていて、

剛に何を聞かれても半分は上の空で答えていたような気がする。



溜息つきたいのはコッチの方やで…ほんまに。こんなヘタレな光一、初めて見たわ…



「光一さん、剛さん、そろそろ出発の準備お願いします。20分後に玄関です。」

若いADが部屋の外から遠慮がちに声を掛けた。

「あっ、はい。すぐ行きま〜す。」

剛がひとりで返事をして、光一の方を振り返った。

「ほらほら仕事やで。お前の番組なんやで。気持ちはよ〜分かるけど、しっかり頼むで。」

「あぁ…」





さくらは今頃何をしているのだろうか、何を考えているのだろうか、

光一はそれが気になって仕方がなかった。

もう一度電話してみようか…そんな思いが頭をよぎったが、

泣いている彼女を置き去りにして逃げ出した自分が、今更そんなことできるはずもなかった。

自分がどれほど不甲斐ない男なのか、思い知らされたようでたまらなく悔しかった。

20分後には撮影が開始される。今は彼女のことを忘れて仕事に集中しなければ…



光一は、これまで一度だって、仕事にプライベートを持ち込んだことはない。

仕事に対して頑ななまでに、その真摯な姿勢を貫いていた。

しかし今朝の光一の様子は、あまりにも普段と違いすぎる…

剛はそれが心配でならなかった。

あいつのことやから、撮影が始まれば大丈夫やろうけど…頑張れよ、光一。








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