さくら月夜



第十五章 暗転




「い・いやぁっ!」

次の瞬間、さくらは光一の肩を突き飛ばしていた。

なぜ?なぜ、こんなこと?

崩れるように座り込んだ。

両手を畳に着いてうなだれたまま…ポロポロとこぼれる涙がその膝を濡らしていた。

大声を上げて泣き出してしまいたかったが、そうすることも出来ずに両手を口にあてがったまま

嗚咽が漏れないように必死でこらえていた。

「ごめん…」

光一がさくらの傍らに膝を着いて、その肩に触れた時、反射的に体が強張るのが分かった。

さくらが初めて光一を怖いと思った瞬間だった。

光一が今、何を考えているのか、どんな表情をしているのか…

顔を上げて確かめることはもちろん、それを想像することすら怖かった。

そしてそれ以上に怖かったのは、

自分の気持ちに気付いてしまったことだったのかもしれない。

光一の唇が触れた瞬間、その一瞬に自分自身が『女』として目覚めているのを感じていた。

自分が女であることも、ひとりの男として光一に惹かれ始めていることも…

それを思い知らされるのが…その事実を認めるのがとてつもなく怖かったのだ。

それに、一瞬でも光一のことを『怖い』と感じた自分のことも…

怖くて怖くて、ただ震えるしかなかった。



光一の手が力なくさくらの肩からすべり落ちた。





「ごめん…」

光一はさくらの肩にそっと触れた。

この手でさくらをしっかりと抱きしめ、その唇にもう一度優しくKissしたいと思った。

しかし光一の指先は、さくらの肩がビクッと震えるのを敏感に感じ取ってしまった。

怯えている…?

光一は、浅はかで思いやりの欠片もなかった自分の行動が

さくらに大きな動揺と恐怖感を与えてしまったことを後悔し始めていた。

どうして、さくらの気持ちをきちんと確かめなかったのか…

素直な言葉で伝えることができなかったのか…

結果的に、自分の気持ちだけを…それも強引なKissというかたちで

無理やり押し付けたことになってしまったのだ。

悔やんでも悔やみきれなかった。

そして、自分を拒絶しているさくらの反応に、胸が痛くて切なかった。



あなたが…好きです

その一言を伝えるすべもなく、光一はさくらの肩からそっと手を離した。


それでも今、目の前で、泣き声を上げまいと必死で耐えているさくらの姿に

それを心から愛しいと思う自分がいることにも、光一ははっきりと気付いていた。

さくらを好きだという気持ちが、胸の奥から波のように押し寄せてくるのを感じていた。

拳を握りしめたまま、伝えられぬ言葉を飲み込んでいた。

飲み込んだ言葉が大きな塊となって、喉を伝い、胸に詰まっていくような錯覚。

胸の奥に詰まるその塊が苦しくて思わず唾を飲んだ。

ゴクッ…

静寂の中で、光一は思いがけず自分の喉が大きく鳴ったことに慌てた。

そしてその音に反応するかのように

さくらが怯えた目を自分に向けた瞬間、その身も心も凍りついていた。

さくらは自らの体を抱きしめるように体を硬く閉ざし、光一のことをじっと見据えていた。

涙で濡れて怯えたその瞳は、光一のすべてを拒んでいるようにみえた。


光一は自分の行動を恨んだ。恨まずにいられなかった。

あのまま帰ってしまえばこんなことには…。あの時彼女を振り返らなければ…



力なくヨロヨロと立ち上がると、さくらにたった一言

「ごめん…」

そう告げると静かに部屋を出て行った。







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