消えない悲しみ 消せない記憶 U




光一は両手をきつく握り締めたまま、長い間じっとベンチに座っていた。

心をどこかに置き忘れてきたのではないかと思えるくらいに、ただ呆然と…それはまるで抜け殻のように。





未来が救急車でこの病院に運び込まれてから、一体どのくらいの時間が過ぎただろう…





コツコツ…コツコツ…



廊下に響く二つの足音が聞こえてきたが、それにも気付かない様子で光一はじっと俯いたままでいた。

コツン…

足音は、だんだん大きくなって光一の目の前でピタリと止まった。

驚いた光一がハッと顔を上げると、目の前にスーツ姿の男が2人立っていた。

「お話、伺えますか?」

年配の男の方が、黒い手帳を見せながら話しかけてきた。

「…はい。」

本当は誰とも話しなどしたくなかったが、なぜこんなことになったのか…それだけを知りたかった。

「麻生さんのご家族ですか?」

「…いえ。」

「失礼ですが、ご関係は?」

「恋人…です。」

「そう、ですか。 お名前、お聞きしてもよろしいですか?」

「堂本…堂本光一です。」

「えっ? 堂本光一? あの…もしかしてキンキキッズ?」

メモを取っていた若い男の方が、その名前に驚いて、光一の顔を無遠慮に覗き込んだ。

「そう…です。」

無表情のまま光一が答えると、その男は年配の男に向かって小声で話しかけた。

「丸山さん、こりゃマスコミに漏れると大騒ぎになりますよ。」

「どうやら、そうみたいだな…。まぁ、そのことについては後で考えるとしよう。」

丸山と呼ばれた年配の男は、特に顔色を変えるでもなく返事をした。



二人の刑事(正確には丸山)の話で、事故の大体の経緯がわかった。

コンビニの前にいた大学生が、たまたま事故の一部始終を見ていて、証言をしてくれたらしい。

彼の証言によると…

未来のバイクはコンビニを出てすぐの路上で、何かを避けようとして大きくハンドルを切った。

そして、そのまま横滑りするようにガードレールに突っ込んで行ったらしい。

未来は何か急いでいるような様子に見えたという。

しかし、スピードはあまり出てなかったし、その時はヘルメットもきちんと装着していたということだった。

何を避けようとしたのかまではわからなかったようだ。

多分、飛び出してきた猫か何かを避けようとして、ハンドル操作を誤ったのだろう…というのが丸山の見解だった。



「麻生さんの行き先はあなたのところだった…それで間違いないですか?」

「…はい。」

「彼女はいつもバイクで?」

「いえ、普段はあまり乗ってないと思います。通勤も電車やと思いますし…。」

「あなたのところへ行く時はどうです?」

「バイクで来たこともありますが、それも一、二度です。普段から、バイクで来るなとキツク言ってましたし…」

「そうですか。では、今日はなぜバイクで向かったんでしょうな。」

「俺が…俺が悪いんです。 はよ来い…て言うたから。 くっ…」

「なるほど。それで急いでいたわけですな。で、あなたが彼女にバイクで来るようにとおっしゃったんですか?」

「いえ…夜も遅かったし、今日はバイクではなくタクシーで来るようにと…。 やのに、なんで…。」

「彼女は途中でコンビニに寄ってますから。買い物をするためだったんでしょうな、タクシーを使わなかったのは。」

「俺のせい…や。」

「あなたのせいではありませんよ、堂本さん。これは事故ですからね。」

「事故なんかやないっ! 俺が…俺があいつを呼ばへんかったら、未来は…」

慰めを言う丸山に対して思わず大声を上げてしまった。

言いようのない不安と、やり場のない怒りが光一の心を埋め尽くしていた。

「落ち着いてください、堂本さん。今ココで、彼女のことを祈ってあげられるのはあなただけなんですよ。」

そう肩を揺さぶられて、光一はハッと我に返った。



しばらくしてから二人は『一旦、署に戻る』と言い残して帰って行った。

光一は、丸山に未来の勤務先や家族のことなどいろいろと聞かれたが、そのほとんどに答えることができなかった。

俺は未来のこと…ほんま、なぁ〜んも知らんかったんやな。


溜息を漏らして天井を見上げると、まだ手術室のランプは赤く点ったままだった。



未来…死ぬなよ

「未来…」

光一は、祈るように何度も何度も…未来の名前をつぶやいていた。







日付が変わってから更に何時間か経過した頃、唐突にランプが消えた。






「未来っ!」

立ち上がった光一の目の前で手術室の扉が開き、一人の医師が出てきた。

「未来は? …助かったんですか?」

取りすがるように聞いた。

「ご家族ですか?」

「…いえ。」

「ご家族の方にお話したいのですが…あなたは?」

「恋人…いや、彼女の婚約者です。」

光一は躊躇することなく答えていた。

「そうですか…」

その時、医師の後ろから、ストレッチャーに乗せられた未来が運び出されてきた。

一瞬、それが彼女とわからないくらいの包帯と、体中に巡らされた管が痛々しい。

「未来っ!」

「静かに…。 今はまだ眠ってますから。」

叫びながら駆け寄ろうとして、そばにいた看護婦に制止されてしまった。

未来は、今までに光一が見たこともない青白い顔で、ただ静かに目を閉じてそこに横たわっていた。

光一はもう一度、医師の方に向き直り、確かめるように聞いた。

「先生、未来は? 未来は助かったんですよね?」

「怪我そのものは命に別状はありません…普通の人ならば。 …ただ。」



命に別状はない…確かにそう聞こえた。

しかしなぜか医師は「普通の人ならば」と続けた。

聞き違いか?

「普通の人ってなんですか? ただ…って何なんですか? 未来は…元に戻るんでしょう? そうですよね?」

一瞬の安堵を掻き消すような医師の言葉に、光一は次なる不安を抱えて追いすがるように聞いた。

医師は小さく首を振ると、こう言った。

「詳しいお話をさせていただきますので、こちらへ…」





























そ…そんなん嘘や! う…うっ

































未来…俺が守ったる! 絶対に…

ほの白い灯りの中で、静かに眠り続ける未来の手をそっと握り締めて、光一がつぶやいた。
























ここは…どこ?


ゆっくりゆっくりと…未来の意識が目覚めていく。

重く閉ざされていた瞼を開くと、真っ白い天井と頭上にぶら下がっている点滴の袋が、未来の視界に入った。

そこから繋がるチューブを視線で辿ると自分の左腕に繋がっている。

…ここは病院?

あぁ…そうか。あの時、子猫が飛び出して来て…。バイクで転倒したんだっけ…

ぼんやりとした頭で、それでも少しずつ思い出していた。

そして…ゆっくりと顔を右の方へと向ける。

光ちゃん? 

未来の右手をしっかりと握り締めたまま眠っている光一を見つけた。

ずっとついててくれたの? ごめんね…心配かけちゃった。

握り締められたままの手をそっと動かすと、そのまま光一の手を握り返した。



「ん…」

微かな指の感触に気付いて光一が目を覚ました。

「未来っ?! 気ぃついたんか?!」

「うん…」

「よかった…。  ・・・あんま…心配させんな…や。」

散々泣いてもう枯れたと思ったはずの涙が、光一の目に再び溢れてこぼれ落ちた。

「ごめん。ごめん…ね。光ちゃん。」

未来の目からも大粒の涙がポロポロとこぼれて、頬にかかる真っ白い包帯を濡らしていた。

「・・・もぅ、ええから。 ・・・はよ元気になろうな。」



医師から告げられた真実を隠したまま、光一は未来に向かってこれ以上ないくらい優しく微笑んだ。






                        



二話あとがき

命は取り留めたものの、光一は医師によって残酷な宣告を受けることになってしまいました。
光一だけが知る真実。それは一体?!
そして二人の愛は、これから先どこへ向かうのでしょうか




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